根暗の幸福論

サブタイトルは、「〜幸福は目的か?〜」です。(←あほ)


日々悶々としすぎて、そんな明るく楽しくないことばかり考えてしまう、根っからポジティブになれないわたしなのですが。
恋愛において相手に多くを求めすぎてはいけないと思いつつ、だけどあまりにも放置されているので「少しくらい求めたっていいやん!」と思ってしまい、しかしながら結局「彼と私はそもそも状況もスタンスも違うのだ。人間とはそういうものだ。」とやけにものわかりのいい風を装ってしまったりと、そんなことを1日のうちに何度も繰り返しています。自分で自分を救えないw


そういうぐるぐる思考にはまってしまうと、いつのまにか「結局、私は何を求めているのか?」という極論を求めようとしてしまいます。社会人になって自分が成長したなあとハッキリと認識出来ることは、常に目的意識を持てるようになったことだと思っていますが、そんなことにまで目的意識を持とうとするのは不毛だよなあ。。
とまぁそれは置いておいて、その結論として現時点でわたしが導いたのは、「私は何も求めていない」ということでした。
↑にも書いたようなに、「私と彼とは違う人間なのだ」という謂わば個人主義的考え方が私の根底には常にあって、それは恋愛においてもきっとどこか揺るがないものとして根付いているようです。
故に、彼がわたしに求めるものとわたしが彼に求めるものが今たとえ違っていたとしても、相手と一緒にいたいという意志が2人に同時に存在すれば(その理由がお互いに違っていても)一緒にいる意味はあると思うのです。(結果として、辛くなることはあるかもしれないけれど。)


一方で、一般的に恋愛に対して、それがあることによって「幸せになりたい」という、意味があるのかないのかわからないようなふわっとした目的(希望とも言える)があるように思うのですが、わたしにはどうもそういう志向がないような気がしますw
過去似たようなことを考えたことがあるなぁと思い返すと、このブログを始めた当初、こんなことを書いていたのですが、そこからもわかるように、基本的にわたしはポジティブなことをあまり欲さない性格なので、恋愛に対しても同じスタンスのようです。
一般的な「幸せになりたい」の「幸せ」って、どうも継続状態(=幸せを達成し続けている状態)を意味している気がしますが、そういう観点で言うとわたしは恋愛によって自分が幸せになれる・なりたいと思っていないのだと思います(どこまでも暗いwww)。もちろん、彼といることによって得られる様々な安心感・充足感や、嬉しい・楽しい気持ちや瞬間というのは沢山あるし、そうありたいとも思うのですが、恋愛をすることによって「幸せな状態」が得られるとは思いません。「幸せ」がそんな簡単なものなら誰も生きることに苦悩しないよなぁ、と。。


結局、なぜ私は彼と恋愛をするのかと問われれば、それの理由は非常に単純明快で「好きだから」。それ以上の理由も何もないです。
好きだからこそ相手に色々と求めようとしてしまうし悩みもするわけですが、望むことはただ単に「一緒にいたい」ってそんなくらいです。・・・それが叶わなくていま悩んでるのか・・・そうだったのね・・・笑


色々理屈こねすぎて、何が言いたいのかさっぱりわけわからなくなったのでまとめると、
・彼と私の考え方はたぶん根本的に違うので、そこを十分に理解し、あるがままお互いを尊重し一緒に居たい。
・恋愛に目的や目標はなく、またそれに向かってするものではない。
・恋愛によって幸せな状態は得られないと思うが幸せな瞬間はいろいろある。それでいいのだ。


・・・わたしなんだか、結婚できない気がしてきました。笑 こんな屁理屈こねる女いやだwww
今仕事でずっと設計書書いてるのでこんな理屈っぽい文章になってしまったwwwこんな女いやだwww