歩き出す強さを

The studs
わたしにとって、今までにない距離感を保ち続けたバンドでした。


2007年お目見え当初、名古屋ヲタのために作られたようなバンドだなwなんて思いつつ、ボン(=aieさん)への興味から音源は買ってみたものの、なんだか腑に落ちない曲ばかりで結成した年には結局ライブはいかず仕舞い。
初めて行ったライブは2008年1月の新宿LOFT。なんで行くことにしたのかは覚えてないけれど、ライブことは鮮明に記憶にある。
結成して数カ月は経っていて、ライブもある程度こなして来ているはずなのに、異様なまでのバンドの不安定感。ライブ始まってすぐに「???」と疑問符が浮かびまくって、だけど、そんなバンドの危うさに反して、初めて見た大佑さんの歌が強烈に頭に焼き付いた。なんてギリギリのエネルギーを放つ人なんだろう、と。
その切迫したような彼の歌と、バンドのぐらぐらとした感じ、それらが合さったときの変な衝動が忘れられず、そこからワンマンには行くようになりました。


だけどその気にかかる感じはすぐにあっさりと杞憂に終わり、その後は見る回数を重ねるたびに、目に見えてバンドがぐらぐらしなくなっていくのがわかり、それに比例するかのように客の雰囲気も変わってきて、実のあるライブバンドに変貌して行きました。最初は冷静に見ていた(←ボン観察のためw)わたしも拳あげるくらいにはなったので、今考えてもその変化は急激かつ強力だったのだと思いますw


だけど、そんなバンドの変化に反して、わたしの大佑さんへの印象は最後まで変わりませんでした。
いつも暗闇の中を、それも何かの淵に沿うように歩いていて、少し見える光には手が届きそうで届かない。身を乗り出しても足をつかまれる。探しているものはわかっている。すぐそこにある。掴みたい。掴めない。・・掴みたい。
そんな情景がいつも彼の歌う姿に重って仕方がなかった。
だからいつも、フロアへ手を伸ばして、人の目を見ながら噛み付きそうに歌う彼を見ては、目を逸らしてしまいそうになりました。でも、逸らせなかった。逸らしたら彼はどうなってしまうのだろうと、不安になるから。


わたしは、彼のことをよく知りません。わたしが数年間このジャンルから離れていた期間がちょうど蜉蝣のピークだったようで、バンドの存在は知っていてもどんな人たちがどんな曲をやっているのかも知らなかったので、studsでの大佑さんがわたしの知りうる彼の全て。です。
そして、studsというバンドに対する自分のスタンスには何か変な一定の距離感があって、最後までわたしは足を踏み込めないままでした。
だから、なんというか、自分でも薄情だと思うのですが、どうしても、ありがとうとか、大好きだとか、彼へ伝えるべき素直な言葉が出てこないのです。
だけど今はただ、もう二度と彼の歌が聞けないこと、姿が見れないこと、studsのライブが見れないこと、それを考えるのが哀しい。studsのライブを見る時間は、わたしにとってはとても楽しい、熱い時間だった。それがもう2度と訪れないということが哀しくて仕方がない。
大佑さんに対してわたしが思うことは、彼がすごした人生の時間が少しでも幸せであったように、彼とたくさんの時間を過ごした人が彼の記憶とその想いをずっと持っていてくれるように、ということ。です。


たくさんの言葉と、歌と、時間を、ありがとう。
ずっとずっと忘れません。
どうかどうか、安らかに。



ライブの記録。
http://d.hatena.ne.jp/marrry/20090615
http://d.hatena.ne.jp/marrry/20081211
http://d.hatena.ne.jp/marrry/20080510
http://d.hatena.ne.jp/marrry/20080208