二度と会えない

今日、たまたまつけたTVのオーラの泉で、三輪様が「人は死んでも、肉体が消えてしまうだけ、魂は生き続けているの」と仰っていました。
わたしは三輪様の考え方、哲学、倫理感をとても尊敬しているし、いつもとても納得をしながら話を聞くけれど、この考え方には同意しかねる部分がある。人を慰めるための、優しい非現実的空想でしかないと思う。


昨日、妹が一緒にバンドをしていたボーカルの女の子が自殺をして亡くなったと母から聞いた。身内ながら、わたしはそのバンドが非常に好きで、他の何にも似ていない独特の異世界観にいつも魅せられていて、それはそのボーカルの女の子が創り出す歌詞、歌、その子自身の存在によるものが大きかったように思う。
世の中に数え切れないほど色々なバンドがある中で、独自性を打ち出すことが出来るバンドは、やはりボーカルが描く世界の色の濃さだと思うし、妹のバンドにおいても、あの色は、あの女の子そのものだった。


普通の感性では創り出せないものを創りだす人は、世の中にとても少ない。カテゴライズという部分を含めて、この世にあるものは少なからず何かの模倣だと思っているけれど、あの子の創るものはいつもどこの何にも無い唯一のものだった。
だから、その世界に、とても惹かれていた。


哀しいかな、そういう数少ない感性の持ち主は、きっと、自分の世界の色が濃すぎて他のありふれた色と混ざったり、薄められたりすることが出来ないから、世の中というものに同調できずに病んでいく。自分自身と、自分が創り出すものが他の何にも群れることが出来ないから、気づかないうちに孤独になってしまうのだろう、と思う。
あの子が亡くなったと聞いたとき、なんで、どうして・・・と思ったけれど、違和感は無かった。


今は只、もう二度とあの子の歌を聴くことが出来ない、あの世界に直に触れることが出来ないことが哀くて仕方が無いです。あの子の生み出すものは、この世界を何とも表現できない素敵な色に染めることが出来るはずだし、もっと色々な人に触れられるべきだったと思う。そうなっていれば、あの子はこうなってしまうことはなかったんじゃないか、と。
そう思えば思うほどに、あの子の世界に、もう一度でいいから触れたかったいう気持ちばかりが溢れます。


どうして、唯一無二の人間ばかりが居なくなるのだろう。


バンドの音源を聞きながら、もうあの子はこの世には居ないんだなぁ、、とその事実だけが頭をめぐります。それは、物理的現実。
魂の「存在」を信じるかどうかは人それぞれだけど、わたしは、魂というものは、この現実世界に居る人の心の中に残る、居なくなってしまった人の記憶やその人への想いのことだと思っています。
毎時毎分毎秒、世界中で沢山の人がこの世から居なくなってしまうけれど、その人たち一人一人のことを忘れないひとが必ずいるし、その記憶が日常の中で奥へ仕舞い込まれてしまうことはあっても消えることは消してない。それが魂と呼ばれるものだと思います。
だから、その記憶や想いを忘れないでいること、その人が遺したものを大切に扱うことが、居なくなってしまう人に対して出来る唯一のこと。


わたしの中で、あの子の歌を忘れることは絶対に無い。
本当に、あの世界が大好きだった。


どうか、どうか、安らかに。
素敵な世界を見せてくれて、ありがとう。ありがとう。