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明日で、夏休み第一弾が終わりです。


昨日今日と実家へ戻って、両親の祖父母宅へ一日ずつお盆的行事をしに行きました。
中学生のいとこは見るたびに大きくなり、幼いと思っていた大学生のいとこはなんだかんだで少し大人になっていて、両親や祖父母や愛犬は日々老いを重ねている。ここ数年、家族行事が少し気が重いのは、そういう現実を目にし世の無常を感じてしまうことが切なくて仕方がないからだと思う。


先日HDDがクラッシュしてしまったので、実家のPCから写真データをCDに焼いてきたのだけど、高校時代や大学時代の自分を見ても今と何ら変わらないような気がしてしまい、深く自己嫌悪。
年齢を重ねることに対して、「嫌だやばいどうしよう」と無意味に思ってしまうのは、変にステレオタイプやキャッチコピーを作りたがる世間(というかメディア)に踊らされている世間的自分で、今ここにいる自分がそう思っているかというとそうではない。わたしの26歳はこんな26歳でしかないし、それ以外に何かを求められたってわたしはそれにはなれない(なるつもりがない)のだから。


じゃあ、自分は一体何が不安なのか。それは繰り返しいつも思うことだけれど、年齢に対する自分自身の姿があまりにも情けないという自己認識、その一点に尽きると思う。
だけど、今のわたしの「あるべき姿」なんてあるんだろうか、わたしは何になりたいんだ、何がしたいんだと自問自答するばかりのわたしには、あるべき姿との差を埋めるすべがない。それが描ければこんなことは考えなくなるんだろうか。自分を褒め自分に充足を感じる日が来るんだろうか。
自分の何もかもが好きではなく何もかもに自信がないのは、10代の時と比して何も変わっていないし、寧ろ年齢を増すにつれて大きくなるばかりな気がして。劣等感とかそんな誰かに対してのものではなく、すべて自分に対するものだから余計たちが悪い。永久に終わらない自分との追いかけっこ。


希望的観測なんていつも何もない。どこまでも刹那の現実だけが目の前にあって、現実より先に広がるものは光なのか暗闇なのかさっぱりわからないよ。


わたしのような何の不自由もない自由気ままな生活をしている人間が呟くこんな下らないお悩みなんて、本当馬鹿げていると思うし、ただ何も考えずに前に進めばいいだけの話な気がする。わたしはきっとその方が向いている。理想論を語るのは、物質的・精神的富裕層のすることで、わたしはそうでないと思う。それは卑下でも何でもなくて、わたしはそういうにんげんだということ。


あーきっと、月イチの不安定期なのでこんなゆらゆらぐらぐらしてるんだろうなぁ。早く去ってくれー。この殺伐とした文章を高速で打つ自分が本当にいや!笑 だけど吐かずに澱むと抑えがきかなくなるから。
明日はKAYAちゃん見に行きます。きっと明日には晴れる。笑える。