見上げれば、花降る春。


昨日、ギリギリでお花見してきました@桜ノ宮 with 同じ部署の若手組。
二年目の子たちが場所取りをしてくれたのですが、あまりにも若かりし日の切ない思い出がありすぎる場所だったので、着いた瞬間帰ろうかと思いましたが笑、お酒飲んでお団子食べて、酔っ払いながら砂埃にまみれてフリスビーしたりバトミントンしたり、楽しかったです。
なんか久しぶりの感覚!こういうのも、たまにはいい。


桜を見るといつも襲ってくる感情は、桜とともに刻まれている過去の記憶が呼び起こすものばかりで、桜の美しい景色に目を奪われながら、桜の散る儚い風景を見ながら、戻れない過去への想いに支配されて、どうしようもなく苦しくなる。
今というこの瞬間への満ち足りなさがそうさせているというわけではなくて、多分、これからもずっと、きっとこうなのだろうと思う。
毎年毎年いつも変わらない桜の景色と、気がつけば急速に変わりゆく自分。その周りの世界。


お花見が終わったあとで実家にご飯を食べに帰ったのだけど、帰る途中で乗り換えた天王寺駅が今再開発の大工事中で、あまりにも自分の知っている天王寺と様変わりしていて、なんだか切なかった。
小さい頃から、母親や祖父母と買い物に来た百貨店はもう面影なく改装されている途中。
大学時代にバイトをしていた店へ行く道も変わった。
当時の彼氏といつも待ち合わせていた場所や、いつも座ってダラダラしゃべったり時間を潰していた場所ももうなくて、そこがどんな風になっていたのかもなんだか思い出せなくて、あれはもう遠い過去のことなのだと、戻ることは無いのだと、その様変わりした風景がわたしに事実を告げていた。
かつて自分が居た場所が、自分が居ない間に全く別のものに取って代わったような気がして、これがこんなにも哀しいものなのかと思ったらそこに呆然と立ち尽くしてしまいそうになって、無理やり足を速めて家に帰った。


何もかも、変わっていく。わたしは、あの頃と何が変わったのだろうか。


今をどんな風に生きていこうか、と、見つめなおすのに遅くはない。
何よりも苦手な「未来を描く」ことをするのは、今この時なのだと、変わってしまった街が教えてくれたのかもしれない。