社会生活と感受性

GW明けました。11連休もしておいて(!)意外に通勤電車や仕事に溶け込んでいた自分に驚き!
これまで長期休暇というと、大阪の実家から東京に戻りたくなくて仕方なくなりながら渋々戻ってくることが多かったけど、今回は東京に戻ることを自然に受け入れていた。ふしぎ、だけど、こういうものなのでしょうか。大人になると言うことは。成長と捉えるのか、只の慣れと捉えるのか。


11連休もすると、流石に思考モードが180度切り替わって「しごとってなに?」「わたししゃかいじんだっけ?」みたいなことになります。笑
年が明けてからここ数ヶ月、仕事への適性だとか仕事のやりがいだとか仕事と人生のスコープとの相関だとかにお思い悩んで、ぐるぐるぐるぐると、まさにdownward spiral状態だったので、完全に仕事と切り離されたところで真白になれたことは非常によかったなぁと思う。
8日間の死ぬほどだらだらした生活の中で、本や音楽やお笑い番組や、家族・祖父母・地元の友達との会話や、幸福や喜びや切なさや絶望の記憶が沢山詰まった大阪という街の空気は、わたしがわたしの一番望まない姿、「感性を失った社会人」になりつつあったのだと言うことを気づかせてくれたみたいです。


この東京砂漠で、社会という巨大で正体不明なものの中に独り埋もれてしまうような感覚に襲われていたけれど、それは、色々な外的なものを「感じる」ことを怠るようになってしまっていたわたしの意識の弱さ。
わたしの感受性そのものが埋もれていただけの話。


「会社員」と「一人の人間としてのわたし」の個々を共生させられるバランス感覚が欲しいです。
わたしは、わたしの愛する物事を、きちんと大切に扱いたい。


ザ・ダウンワード・スパイラル+13(デラックス・エディション)

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