幸福論

どうして、「ひとは幸せを求めて生きている」っていう周知の前提があるにもかかわらず絶望や憎しみとかを音楽として歌う人がたくさんいて、それを求める人がいるのかなって考えたときに、その前提そのものが違うんじゃないかという気がした。というよりも、一般的な「幸せ」の定義そのものが固定概念化されすぎていて、それに基づくから何か違う気がしたのかもしれない。つまり、「幸せ」=正方向、陽のものとして概念化されている(そう捉えているひとが多いようにわたしには思える)けど、実はそれがそもそも絶対的なものではなくて、人によって「幸せ」と感じることやその度合いが違っていて、だからこの世界には色々な負の出来事を幸せとして求める、もしくは感じる人もいるということか。というところで頭の中が落ち着いた。

幸福(こうふく、Happiness、Happy)とは、自ら満ち足りていると感じており、安心している心理的状態のこと。(wikipedia)

とあったのはまさにそのことなんですわなぁ。ま、当たり前といえば当たり前なのだけど、最近世間一般の色々に惑わされているのか、自分を見失っているんじゃないかという苦悩が多いのでそういう下らんことを考えてしまう。というか自分があまり正の世界(楽しいとかそういう感情)を求めてないような気がしたのだけどそれは間違ってないかも。。

うーん、やはり根暗・・・w